暮らしのメモ

両親のエンディング・ノート

お正月に家族が集まったときに、夕食を終えてゆったり飲んでいたら父がなにかの話の流れで話し出しました。

「俺が死んだときのために、言っておきたいことがある」

ひとつ、葬式は不要。骨は海にまいてくれ。

「最近は海にまくのもいろいろ規制があるらしいけど、お墓に入るのはイヤなの?」
「イヤだ。墓は遠いし、処分したいと思っている」
「お母さんは(お墓がなくなって)いいの?」

ふたつ、母さんがこの家に住み続けられるようにしてくれ。

「わかっているよ、お父さんが亡くなったときは、わたしたち姉弟は相続放棄をすればいいのよね」
「〇〇(弟)も、それでいいよね。お母さんが亡くなったときに、姉弟で分ければそれでいいよね」

そんな話を、姉弟の配偶者もいて、子どもたちもこたつに入っているなかで、でしたが。
それが意外とよかったのかも。
書面に残したわけではないけれど、それぞれの配偶者も、うんうんと聞いていました。

「俺の頼みは、これだけだ」

と言って、酔っぱらった父は満足そうに寝てしまいました。
父の話のあと、台所で食器を洗っていると母が横にきて、言いました。

「お母さんもね、これだけお願い」

もしものとき、延命処置はしないでね

「もしも急に倒れたりして、家族を呼ぶ間だけと思ってもね。
一度延命処置をしてしまうと、それを止めることはなかなか難しいからね。
ずーっと寝たきりになって、医療費も大変なことになるかもしれない。
だから、たとえ家族の誰かが最後に間に合わなくても、延命処置には同意しないでね。」

わたしは、「わかった」と答えました。

ただ、その時がいつくるかは、誰にもわかりません。
時と場合によって「大切な人が生きていてくれるだけでもいい」と思う場面もあるはずです。
そのときのことを考えると、辛く、難しい決断になるかもしれない。
だからこそ、本人の意思を知っておくことは大切だと思います。

伝えるタイミング

今回、両親と姉弟全員が揃っているときに、こういう話をする機会が持てたのは、とてもいいことだったと思っています。

ただ、伝えるタイミングは、配慮がいると感じました。
ちょうど末の妹が結婚・出産して赤ちゃんを連れてきた年末年始は、ちょうどいい節目だったと思います。

ふりかえってみると、わたしの離婚騒動があったり、弟が無職だったり、父が入院したり、人生って大波小波の連続です。それぞれが何かしら不安を抱えているときには、こういう話ってうまく話すこと、聞くことも難しい部分があるのではと思います。

だからこそ、人生のエンディング・ノートは、おだやかな凪のときに考えてこそ、意味があるのかもしれません。

そしてノートに考えを書くだけでなく、残される家族に伝えておくことも大切!

自分自身も、いつかもっとずっと先になるかもしれないけれど
タイミングを選んで、子どもに伝えておきたいと思っています。

嫁に言うのはNGです!

余談ですが、何かの折にこの延命処置の話を義母にしたところ、「私も本当にそう思うわ(延命処置はしないでほしい)」と。

でもね。お義母さん。

お義母さんがいざというとき、嫁が「お義母さんは延命処置を望んでいませんでした」って言えると思います?

それはくれぐれも、実の子(夫)に言っておいてくださいね。と思ったのでした。ちゃんちゃん。