親サポ

「一升瓶を抱えて死ぬなら本望」の父、酒で下半身が弱る

父はお酒が好きで、わたしが幼いころから「酒で死ぬならそれが本望」みたいなことを酔うと言っていた。父の祖父は戦時中、空襲のさなかも防空壕に逃げず、一升瓶を持って押し入れに入っていたという。「俺もそうしたい、それで死んでもいい」と。

わたしも家族も「好きにすればいいがな」くらいに聞いていたと思う。

しかし、親の介護に直面する年になって、知ったことがある。
死ぬというのは、人生の大仕事だ。

自分で好きなとき、好きなように死ぬことは、まずできない。
しかも、誰かに面倒を見てもらわなくてはならないことが多い。

歩けないのは、年のせい? アルコールのせい?

お酒を飲むと怒りっぽくなるのは昔から。意に添わないことがあると、ささいなことでもカッとなって怒り出す。しかもネチネチと相手の人格を否定するような怒り方。

ただ、その被害にあうのはもっぱら母とわたしたち子どもたちだったので、怒り方が普通じゃないよね、困ったね、と言いながらもそのままずるずると月日を重ねてしまった。

足腰が弱くなったのは、父が70になるころからだったと思う。亭主関白で、食後に薬を飲む水ひとつでさえ母を顎で使うような父だから、運動不足だよね。年だしね、なんて話していた。

足が上がらない

実家の母から、「お父さんがおかしい」と連絡があったのは、まだ寒い季節だった。父はその何年か前から、春~夏の間は庭の草むしりくらいはするけれど、冬になるとTVばっかり見るようになって、足が動かない(歩くのが遅かったり、転びやすかったりする)というのは聞いていた。

それにしたってこの冬は全然歩けなくなってしまった。「なんだかおかしい気がする」と母はいう。

トイレに間に合わない

トイレに行こうとして間に合わないことが増え、しかも「トイレが遠いから悪いんだ、引っ越す!」と怒るらしい。ちなみにリビングからトイレまでは、10mかそこらしかない。

「今度、かかりつけの病院に行くから、そのときに相談してみる」と母。

その様子では、父が運転していくのは厳しいだろう(母は運転ができない)と、帰省して病院まで付き添うことにした。

病院へ行く朝、こんな会話が聞こえて来た。
父は「トイレがまだ出ないんだけど…」
母は「じゃあ、行きたくなったらコンビニに寄ろうか」

ところが、渋滞に巻き込まれてしまって、道がノロノロとしか進まない。
途中、父がトイレに行きたいと言うけれど、朝8時台で、スーパー、本屋さん、携帯ショップなんかの前を通るものの、開いていない。やっとでコンビニにつくまで10分くらいかかったと思う。

父は、なかなかトイレから出てこなかった。
丸めたビニールを持って出てきて、車に乗り込み、「母さん、病院には遅刻しちゃうけど、一度家に帰ろう」と言った。

話には聞いていたけれど、ショックだった。
うちの5歳の末っ子だって、トイレに行きたい!と言い出してから、間に合うくらいの時間だったと思うから。

アルコールで小脳が委縮

病院につくと、父は車いすに乗り換えた。
たまたま、数ヶ月前に撮った頭のCTがあって、診断はすぐについた。

長年のアルコールで、小脳が委縮しているとのこと。
それで、下半身のコントロールができない。

お酒をやめれば、少しではあるけれど、良くなる可能性が高いという。
「だから、お酒はすっぱりやめた方がいい」と言われたそうだ。

さすがに禁酒かと思ったけれど

父のおもらしはショックだったけれど、父だって娘の前で恥ずかしかったことだろう。

わたしは、病院からの帰り、父がお酒をやめるだろう、と思っていた。
「酒を飲んだまま死にたい」と言っていたのに、無念だろうか、と。

ところが。

家に着くなり、父は母に「酒」とひとこと。
ああ、本物のアル中だ、と思った。

わたしが「え、飲むの?」と言うと、「うるさい、飲み納めだ」という。
聞く耳などない、いつもの父の口調。

家に帰ってから、ノンアルコールの日本酒を実家に送った。
あんまりおいしくないらしいけれど、これで我慢してよ、と念じながら。

その後、一進一退

飲み納めという言葉は嘘ではなく、その後父は1ヶ月くらい禁酒をしたそうだ。

母は、「歩けるようになってきた!」と喜んだ。
トイレに間に合わないということもなくなったという。

ただ、月一の病院でそのことを褒められて、気が緩んだのか。
また飲むようになってしまった。
すると、また「トイレが遠い!」と怒り出す。

一進一退の繰り返しだ。

しかし、70も半ばだというのに、お酒をやめれば脳は回復するのか。
それもすごいな、と思ったりもする。